北方領土 千島列島

千島列島の定義が重要だ。

江戸時代から、ロシアとは、国境問題で、協議してきた。

日露双方の認識として、千島列島は、国後、択捉を含まない。得撫島以北が、千島列島である。

国後、択捉は北海道なのであった。

江戸時代の日露和親条約も、明治8年の千島・樺太交換協定も、しかりである。

第2次世界大戦、終戦時、スターリンは、アメリカから樺太・千島を戦利品として頂ける内諾を得ていた。スターリンの腹積もりとしては、千島侵攻の勢いで、北海道に上陸して、あわよくば、北海道全土、すくなくても、北海道北部は占領しようとしていた。アメリカ、トルーマンは北海道上陸は拒否したが、スターリンとしては、占領したもの勝ちだと思っていただろう。

スターリンの誤算は、千島列島最先端の占守島日本軍が、満州の惨禍を知って、ソ連軍に頑強に抵抗したことだろう。これで、ソ連の侵攻は止まった。国後、択捉を獲るのがせいぜいであった。北海道には、米軍が進駐してきた。

これが、終戦時の様相である。ロシアは、日露戦争で取られた南樺太の仇を、北方領土で取り返したと思っている。

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