2013 年 6 月 のアーカイブ

満州帝国 溥儀 溥傑 

2013 年 6 月 30 日 日曜日

中華民国になってからも、満州は治安が保たれていない。かろうじて、日本軍が駐留するところぐらいであった。

清朝最後の皇帝、溥儀も北京で地位を保障され、穏やかに暮らしていたが、共産主義の影響だろうか、満族に対する復讐だろうか、身の危険を感じ始めた。

満州は馬賊の暴行、略奪に苦しめられていたので、日本軍がやっと、馬賊掃討に乗り出した。国際的に、満州の権益はロシア、アメリカ、中華民国も手放したくないので、最初は遠慮していたのであるが、あまりに無法地帯なので、日本軍が満州国を建国して、治安を回復させたのだ。

もともと、満族皇帝である、溥儀も父祖の地で清朝回復を果たしたかったようだ。さすがに清朝は名乗れなかったが、満州帝国でよかったのだろう。弟の溥傑は陸軍士官学校を卒業し、日本の伯爵令嬢を嫁にしている。溥傑の子息は日本人として多数、活躍しており、満族皇帝の血脈は生きているのだ。

じつは、清朝時代は満州に漢族は入れなかった。治安が乱れる恐れがあるし、漢族人口が増えると、満州族の土地でなくなることになるからだ。

満州国も漢族流入を制限すればよかったものが、なぜか、五族共和と言って、満族、漢族、蒙古族、朝鮮族、日本民族が平等で、共栄することを理想とした。

いまだから言えるが、漢族には中華民国があったのだ。モンゴルはモンゴル、朝鮮は朝鮮、日本には日本があったのだ。

ここで、欧州のユダヤ人迫害を逃れた人たちが満州にも居住していた。母国がない人たちのために、建国すれば歴史はかわったかもしれない。

実際に、日本は迫害されたユダヤ人を満州経由で大量に、アメリカに移送したのだ。

いまからでも遅くはない。満州は満州族とユダヤ人のために満州国を建国したらよい。中東の争いも少しは緩和されるだろう。

中華民国 辛亥革命 孫文 台湾

2013 年 6 月 29 日 土曜日

清朝が辛亥革命によって倒された。日清戦争後、清朝の若者、2万人が日本へ留学し、清朝政府ではシナが近代化できないと思い極めたようだ。その中に、孫文がいた。

孫文らは、中華民国を建設するも、中国は広い。結局、各地の軍閥による混乱状態となる。満州も、無政府状態と言ってよい。軍閥は一般民衆を略奪、暴行するのである。

清朝は満州族による漢民族の支配であったため、中華民国は満族を排斥しようとするが、チベット、ウイグルは支配下におきたいために、都合よく、五族共和を言い始める。いまの中共もそうだが、異民族と思うなら、チベットもウイグルも独立国として認めればよいのに、漢族が満族から独立したのが中華民国であった。

この混乱状態は、日中戦争まで続く、国民党政府、共産党政府、南京政府、各地軍閥、いまでも国民党政府は台湾にいる。

清朝時代は大変な抑圧があったのだろうが、革命からは何も生まれない。

 

 

シベリア出兵

2013 年 6 月 28 日 金曜日

世界は第一次世界大戦となる。ロシアにとらわれたチェコ軍を救出するために、イギリス、フランスの要請を受けて、日本が中心となって、シベリアに出兵した。

地政学的に近いこともあり、日本が中心となり、欧米各国が撤退してからも、日本はなかなか撤兵できなかった。なぜか? 治安が悪いからである。

なにせ、シベリアはロシアの流刑地なのである。無法地帯と言ってよい。これが山賊、パルチザンとなって、略奪、暴行の限りをつくすのである。実際に、日本人が多数、虐殺されている。

ロシアは革命ロシア、いわゆるソ連である。いまでこそ、共産主義は失敗であったことがソ連の崩壊、中国の政経分離で、明らかだが、当時は、世界は輝かしい思想であるかのような妄想を抱いていた。アメリカでさえ、共産主義思想が蔓延していたのだ。

満州、シベリアは無法地帯であった。

日露戦争

2013 年 6 月 27 日 木曜日

日清戦争で、朝鮮半島から清は駆逐したが、ロシアが入ってきた。この当時、実質的に満州はロシアの管理下であった。

満州は文字どおり、満州族の生地であるが、清は弱体化しており、ロシアはとにかく、極東を制覇したいので、満州から支那本土、朝鮮をうかがっていた。日本は満州から朝鮮半島に入られて、軍港を作られてはかなわない。日本海の制海権を奪われてしまう。

幕末には実際、対馬を占領されてしまった。

ロシアの南下策はウラジオストックという名が示すとおり、極東制覇なのである。ロシアは日本の20倍の国力であったから、世界中がロシア勝利を確信していた。

日本は日英同盟、ユダヤ銀行家の国債購入、海軍、陸軍の奮戦により、なんとか勝利した。

これは歴史的快挙だったのである。大航海以来、白人の侵略に悩まされていた、有色人種が初めて白人軍隊に勝ったのである。この歴史的偉業は、アジア各国、中近東、アメリカの黒人社会ではよく伝えられている。

 

自民 民主 共産 政界再編

2013 年 6 月 27 日 木曜日

なんだが、政党と支持者がねじれていていてよくわからない。自民党、民主党、共産党があるが、それぞれ、原発推進保守、脱原発保守、脱原発革新なら、わかるのだが、そうではない。

自民党は保守だろうが、脱原発、反TPP、反増税がかなりいるのである。

民主党は保守と革新が混在している。元共産主義者もいる、あろうことか反日、外国人もサポーターにはいるかもしれない。

共産党はその意味でわかりやすい。脱原発革新しかいないのである。脱原発も廃炉一直線なのでわかりやすい。原発の危険性が一番よくわかっているのではないだろうか。

ここは民主党にがんばってもらいたい。旗手を鮮明にするのだ。脱原発保守、これしかない。左派の人たちは共産党に戻ってもらいたい。自民党支持層の脱原発、反TPP、反増税論者を民主党に取り込んでもらいたい。まさしく政界再編である。共産党以外の野党は全部、糾合するぐらいの威勢でやってもらいたい。

連合も自分達の利益だけを考えないで、非正規社員、ブラック企業問題に目をむければ行政改革もできるはずだ。

農家も戸別補償を返上して、減反反対、農業自由化を推進すれば、堂々とTPP反対を主張できる。

民主党だけでは核となれないだろうから、みんなの党が他の野党に話をつけてやってほしい。好きだ、嫌いだを乗り越えている、みんなの党の出番です。

日清戦争 清の属国、朝鮮 大韓帝国

2013 年 6 月 26 日 水曜日

日清戦争の三国干渉は受験にもよく出てきて有名ですが、そもそも日清戦争はなぜ起こったのか?

原因は朝鮮です。朝鮮は治安が悪いので、清、日本ともに居留民保護のために出兵しています。大使館員でも虐殺されてしまうので、当時、自国民保護は当然のことでした。

清は朝鮮を属国扱いしているので、朝鮮を近代化してロシアの植民地化を避けようとしたい日本と対立します。一足早く、近代化していた日本に分があり、勝利しますが、朝鮮は目出度く、清への朝貢をしなくてもよくなり、大韓帝国を名乗ることになりました。朝鮮は独立国となったのです。

ロシアは面白くなく、三国干渉でチャッカリ、遼東半島を手に入れます。朝鮮にも親露派がおり、いずれ、日露戦争になる予感があります。

朝鮮にはいまも昔も、支那、ロシアが隣にいるのです。

 

 

太平洋横断ヨット 自衛隊飛行艇救出

2013 年 6 月 25 日 火曜日

なぜか税金の無駄使いと非難されているようだが、とんでもない。快挙なのだ。

国威発揚と言ってよい。全盲のヨットマンを助けて、太平洋を小型ヨットで横断するのだ。それなりに準備もしたし、関係方面への連絡もしていたのであろう。

政府としても何かあれば、救出すると決めていたであろう。日本はこれだけの救出力を持っていることを示したのだ。

反対に、救出できないとしたら、張子の自衛隊ということになってしまうではないか。

日本の自衛隊の飛行艇は世界一なのである。救出隊員の技術も世界一なのである。

 

明治維新の外交問題 

2013 年 6 月 24 日 月曜日

地政学的に明治時代から変わっていない。ロシア、朝鮮、台湾はお隣さんなのだ。昨日も触れたように、台湾は石垣島漁民と漁場で接しているので諍いがおきる。明治政府が数十人の漁民が虐殺されたことを受けて、台湾征伐をしたのは国際法上合法だ。清も文句を言っていない。西欧列強も干渉していない。

ロシアとは樺太でロシア人、日本人が混在していたので、争いが絶えなかった。もともと、シベリア以東はロシアにとって流刑地なので、無法地帯と言ってよい。明治政府にとっては、重荷なので、千島列島と樺太を交換した。外交交渉として見事だったと思う。

朝鮮とはややこしい話になる。始め、明治政府は李氏朝鮮に対して、「日本は近代化して、西欧諸国の植民地化を免れた。朝鮮も近代化してともに西欧に対抗しよう。」と誘ってみたのだが、朝鮮は「日本は西欧にかぶれた、これからは日本人と付き合う朝鮮人は厳罰に処する。」とした。なんともはや、小中華思想なので話にならない。孫文や蒋介石のほうが、話は通じる。

明治政府は血の気が多いので、西郷や江藤の征韓論になるのだが、さすがに、清、ロシアを刺激するので、内政を重視する、大久保派によって征韓論はひとまず、抑えられた。その後、朝鮮軍を近代化するために、日本は30人ほどの軍事顧問団を派遣していたのだが、朝鮮内の清朝派によって虐殺されてしまう。

さすがに大久保も朝鮮から清軍、日本軍を完全撤退することで、清、朝鮮と合意する。これも見事だ。できるだけ、必要がないかぎり、朝鮮とはかかわらないほうがよい。

明治初期、大久保政権は国内の憲法制定、廃藩置県の大問題を抱えながら、3つの外交問題を1年にひとつずつ解決していったのだ。

現代の安倍政権にも、北方領土、竹島、尖閣問題をひとつずつ解決して、富国強兵、殖産興業に邁進してもらいたい。

沖縄 明治初期 台湾 清

2013 年 6 月 23 日 日曜日

太平洋戦争末期、沖縄地上戦で沖縄は焦土と化した。その後、アメリカ占領を経て、本土復帰後も、米軍基地に悩まされている。

苦難の歴史なのだ。

中共が、沖縄は中国の領土だったなどと、寝ぼけたことを言い出した。

清朝時代、沖縄、琉球は、薩摩の支配を受けつつ、清にも朝貢していた。明治初期、石垣島漁民が台湾に漂流したとき、なぜか、台湾で虐殺されるという事件が起きた。明治政府は、当然のことながら、台湾征伐をした。清にも連絡したが、清にとっては辺境の蛮族の事件であったので、「好きにしてください。」ぐらいの対応であった。これは領土としての自覚がないことの証左だ。

自国領土の自国民の保護ができない政府は、領土を主張できない。

立憲君主制 大久保利通

2013 年 6 月 22 日 土曜日

倒幕では、王政復古が旗印でした。この国は勤皇でなければ政権は維持できない。あたらしい国づくりで、憲法、法律がなければ欧米列強は相手にしてくれない、1等国扱いしてくれないことを痛感した明治政府は、まず、憲法草案に取り組む。

いま、思えば、これはおかしい。国際法と憲法は関係がない。相談相手の英国がそもそも慣習法なのだ。ドイツのビスマルク、曰く、大国は都合がいいときは国際法を持ち出す、都合が悪ければ、戦争をする。

とにかく国体を決めなければいけない。大久保は立憲君主制で天皇を中心にするしか日本国はまとまらないと思い極める。明治維新が王政復古ということでようやくまとまったのだから当たり前のように思うが、当時はきわどいことだった。フランスをお手本にしようとした人たちもいるのだ。

江藤新平は立憲共和制を考えていたようだ。憲法草案は始め、江藤が任されていたのだ。西郷の征韓論で江藤は西郷派であったため、下野した。なぜ、征韓論にこだわったか、いまでは不思議だが、とりあえず、立憲共和制は表にでていない。

現代では、憲法より、国際条約、個々の法律をよく実態に合わせて、吟味したほうがいいと思いますが・・・。